15歳、まだまだできることはきっとある。
うちの実家の初代わんこの大輔(♂)。
今見てもおっとこまえやわぁ~。
私が中学1年のときに、兄が知り合いからもらってきた子犬でした。
でも、3歳のときに散歩から帰ってきたとたん泡をふいて急死。
家族の間では、多分散歩中にねずみ取りか何かを食べてしまったんじゃないかな、
と言う話になっています。
こちら、二代目わんこのしし丸(♂)。
この子は約35年前、元野良犬で放浪中のところを
(昔は野良犬が普通によくいましたからね。)
すでに実家を出ていた兄が保護して飼っていたのですが
約1年後に事情があって飼えなくなり、うちで引き取って一緒に住むことになりました。
大輔と似ているけど、しし丸の方がかわいらしい感じ。
大輔もそうでしたが、しし丸も今から思えば見た目も性格も「ザ☆犬」でした。
文太なんか、良くも悪くもほんと「犬」とは思えません。
(いや、文太に限らず全フレブルに当てはまるかも!?)
今でもこういうタイプの「ザ☆犬」なわんこを見ると
「あ~、かわいいな~。犬飼いたいな~。」
っと思ってしまいます。
(しつこいようですが、文太は犬ではないので。笑)
しし丸は元野良犬なので、誕生日はもちろん、はっきりした年齢がわかりません。
兄が保護したときは、まだ若かったけどすでに成犬で、
それから兄のところで1年、うちに来てから13年一緒に過ごしたので
少なくとも15歳にはなっていたはずです。
今、文太がおそらく当時のしし丸と同じぐらいの年になったからなのか
最近しし丸の最後のことをよく思い出すのです。
しし丸も文太と同じく散歩が大好きな子で
毎日の散歩をとてもとても楽しみにしていて、
毎日1時間以上は歩いていました。
でも、晩年は歩くのもやっとになり、
そのうち立ち上がることもできなくなり
最後は寝たきりで寝返りすら打てなくなっていました。
最後の数週間は、ただ苦しそうに息をしているだけで
何もしてあげられないことが辛くて、
「いっそのこと楽にしてあげた方がいいんやろか?」
という考えも頭をよぎりました。
でも、
あの頃
「何もしてあげられなくて辛い」
って思っていたけど、
いやいやいいやいや、まだまだできることはあったよ!?
寝返りがうてないなら起こしてもっと楽な体勢に変えてあげるとか
マッサージしてあげるとか、もっと美味しいものをあげるとか、
もっとベッドを心地よいものにしてあげるとか、
歩けないなら抱っこで外を見せてあげるとか、
大好きだった外の空気を吸わせてあげるとか、
いろいろあったやん??
今の自分ならもっともっとしてあげられることがあったのに。
って、思ってしまうのですよね~。
残念なのは、「何もできなかった」ことではなく、
よく考えもせず、はなから「何もできない」って決めつけていたこと。
だからかなー、文太には
「もっとしてあげられることがあったのに。」
を絶対に残したくない、と思うのは。
もしかしたら10年後、20年後にはもっといろんな進歩があって
「今の自分ならもっと文太にしてあげられることがあるのに。」
って思うことになるかもしれないけど、
それでもせめて今現在の自分ができる100%は出し切りたい。
文太のためにできることは全部やる。
そう、強く心に誓っています。
毎日の散歩。
遠くまで行っても大丈夫なように、カートで。
毎日、楽しいこと。
死ぬまで自分の足で歩けるように、願いを込めてマッサージ。
美味しくて、栄養たっぷりのごはん。
おねだりタイムも
週末のお出かけ。
お出かけの後は寝室で一緒に贅沢昼寝。
毎日「ありがとう」を言うこと。
日によっては、忙しかったりしんどかったりでできる量は違っていたとしても、
毎日、その日自分にできる100%を尽くすこと。
そういう日々を一日一日重ねていって、
文太の旅立ちの時には
「全部やりきった!」
と自信を持って言い切ることが
今の一番の目標です。