5回目の5月18日
本日、5月18日はあゆみの5回目の命日です。
5年前の今日、午前中は全くいつもと変わらず普通に過ごしていたのに
お昼過ぎ、気づけばもう動かなくなっていました。
最初に動かなくなっていたあゆみを見つけたときは本当に意味がわからず
「え?どういうこと!?意味わからん!!」
て、何回ひとりで叫んだことか。
最初はパニック状態ではあったけど、泣くとかそういう次元ではなくて
ただただ「意味わからん!!何で!?起きて!!」って本気で起こそうとしていました。
サスペンスドラマで「ご主人が殺されました」みたいなことを告げられて、
奥さんが即泣いていたら、もう奥さん犯人ですよ。
・・・て、しょうもないことを考えてしまうぐらい、
「突然いなくなった」って、すぐには全く理解できなさすぎて涙なんか出ないんです。
アニメ「タッチ」で和也が交通事故で死んだときに双子の兄の達也が
「キレイな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで。」
っていう有名なあのセリフ。
衝撃的過ぎて感情がブロックしてしまう、あれがリアルなんやな~、
って今は思います。(何の話やねん。)
あの時は本当に文字通り毎日泣いて暮らしていました。
朝起きたとき、一瞬いないことを忘れていて「あ、あゆちゃんいないんや。」って思い出して泣いて、
隣で寝ているおとうはんがあゆちゃんに起こされずにずっと寝てるのを見て
「あ、おとうはんはもうあゆちゃんに起こされることはないんや。」って泣いて、
みんなでごはんのときに、「あ、あゆちゃんのごはんはいらんねんや。」って泣いて、
文太と散歩から帰ってきたとき「あ、あゆちゃん迎えに来てくれへんねや。」って泣いて
仕事中に「あ、あゆちゃんに『遊べー!』って催促されることないんや。」って泣いて
同じくあゆちゃんのことを探し回っているちびに「あゆちゃん、いないんやで。」
って慰めるために優しく言ったつもりが自爆して泣いて、
いつも寝ていた爪とぎベッドが空いてるのを見て
「あ、あゆちゃんもうここにはいないんや。」って泣いて
お風呂で「あ、あゆちゃんはもう一緒にお風呂入ってくれへんねんや。」って泣いて、
部屋のあちこちにあゆちゃんの残像を見つけては
「ああ、あゆちゃんはもうほんまにおらんねんなー。」って泣いて、
文太と幸多とちびがずっとそばにいてくれていたけど、
その空間に「あゆちゃんだけがいない」ことに泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、
もう、涙の止め方がわからんぐらい毎日泣いていました。
「こんな辛いことを、同じく大切な愛犬愛猫をなくした皆さんはどうやって乗り越えてるんやろう?
いつか泣かずに済む日は来るんかな?」
って、また泣いていました。
そして、
「こんなことをあと三回(あの時は文太、幸多、ちびだけだったので)も経験せなあかんのか・・・」
と、ぞっとしていました。
そのうち泣きすぎて目が痛くなって、物理的に「もうこれ以上泣きたくない」って思うようになって
そうしたらだんだん目が痛すぎることに腹が立ってきて、
「くっそー!哀しい気持ちなんかに負けるもんかー!
あゆちゃんとの楽しい想い出を辛いだけのものにしてたまるもんかー!
そのうち絶対に笑って写真を見られるようになってやるーー!!」
って思うようになって、立ち直りました。
(ものすごぉーく時間はかかりましたけれども。)
あの経験があったからこそ、「いつか来る日のための心構え」が
より強固に自分の中に生まれた気がしています。
生き物と一緒に暮らしている限り、いつかは別れの日がきます。
きちんと見送るということは飼い主として最も尊い、大切な仕事です。
そのことをこれから先も忘れることなく
別れがいつどんな形でやってきたとしても
ひとりひとりの生きざまも死にざまもちゃんと尊重して
きちんと受け止められる飼い主でありたいな。
あゆちゃん、今は文ちゃん兄ちゃんとちびと仲良く楽しくやってるかな。
そうだといいな。